月曜日といえば、大学の4年間、月曜日の一時間目は三好先生の講読が続いた、
スペイン語の小説を訳していく、
予習をしていかないと、こっぴどく怒られる、
予習ができなかったら、敵前逃亡で授業を休むくらい、
しかし、先生は毎年ややこしい本をもってくる、
コロンブスがアメリカ大陸に最初に上陸したときの文とか、
月曜日の一時間目は、実に辛いものがありました、
かの有名な、あの400年の和菓子屋の女将さんになったあの人は、はるばる、大阪の南の方から通学、もうひとりの友達は西成区、京阪特急を並び、席を確保し、二名でそれぞれ分担し、訳をする、そしてキョウバスに座れたらお互いに写す、それを四年間続けた、根性という他ない。
授業は
あいうえお順に教室は座り、順番に先生が当てていく、
二行程度を訳させる、
その行数を計算し、
次回は当たるので当たるとこらへんを訳して他はスルーしておく、しかし、たまに先生が授業とは違う話をえんえん始めたり、自分でココは難しいから先生が訳するとか言い出して、計算がくるい、焦りだす。それと、休み奴がいて、それも狂う。
緊張の90分、長い90分だった。しかし、先生は授業をきちんとでていたら、単位はくれた。しかも、テストは辞書持ち込みOKだった。
たいてい、日曜日は、バイトか、デートか、遊んでる。
まじめなH君は、必ず、きちんと予習をして、みっちり単語を訳していた、
みんなそれを目当てに、
まずは京都駅のちかくの旅館でバイトしてる大川が20時ごろ、
H君の下宿にいき、
「ノート、見せてくれ」とくる。
大川が返ると、八百屋でバイトしてた矢井君が
「ノート、見せてくれ」とくる。
矢井が0時頃帰り、H君がうとうとしていると
1時ごろに、僕が
「ノート、見せてくれ」と行くわけだ。
うだうだ、しゃばり、3時ごろ帰る。
翌日、三好先生の月曜日の一時間目の授業がはじまる。
ふとみまわすと、H君が来てない、
「あれ、どうした?」
H君の松清寮に たずねていくと
「ねとった!」
僕が夜遅くまでノートをみせろと言っていたために
寝落ちしてしまったのだ、
当時は暖房はホームこたつしかなく、炬燵はあったかいので
寝てしまうのだ。
しかも、この行動パターンが数度あり、
とうとう三好先生が
「H君、最近よく休みますね!黄色信号ですよ」
本人はまじめに予習していく気満々なのに
悪い友達をもったばかりに、単位をおとすかもしれない事態に、
という学生の思い出だった。