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童子の歌は二十歳そこそこのぼくには、重たかった。聴くに堪えないともおもっていこともある。

しかし、それは、なにかというと、明るい自分と影の自分と 向き合えるかどうかであるとおもう。

内照ということばがあり、影になる部分の自分を照らしてみて見ることは大切なことである。

 僕が君の思い出になってあげよう

この歌は 『A BOY ボーイ』の3枚目のオリジナル・アルバムにはいる。1977年12月10日にポリドールより発売された。

ぼくが16歳で高校二年のころだ、この歌もぬかるみの世界で鶴瓶さんがよくかけていた。

編曲が 木田さんだ、木田 高介さんは1980年、この三年後に交通事故で亡くなる。彼の残したアレンジの数々は 「出発の歌」(上條恒彦)、「神田川」(かぐや姫)、「私は泣いています」(りりィ)、「結婚するって本当ですか」(ダ・カーポ)など

イルカのソロデビューの歌も彼担当した。彼の葬儀にあまりにも突然で若い死だったので、奥さんが葬儀でシュックを隠せなかったという、その光景を見て五輪真弓が「恋人よ」を作り上げたという。

話がそれました。

この歌は、去りゆくともに、自分をさみしくなったら思い出して、かえって来いよ、というあったかい歌である。高校教師でもこの歌は使われたらしい、

森田童子が好きなサイモンとガーファンクルの曲に影響されたのではないか、と言われている。


1970年の作品、The Only Living Boy In New York

童子は、このLPをもって、ポリドールを離れて、三年間、沈黙した。

森田童子は、青森の人だという説もある、東京に引っ越してきたとか、やはり、転校はその人の感性に重要な要素を加える。

ぼくは、きっと、おとなしいが、明るい人だとおもう、暗い歌を歌う人は明るいんだ。