N.S.P.よ永遠に 「碧き空は永遠に」
この歌は今更ながらこの年で聞くと、じんーと来る。
天野滋 詞 平賀和人 曲
天野さんは、自分が早く死ぬ運命を知っていたのだろうか、
アルバム「めぐり逢いはすべてを越えて」に収録、ボーカルは平賀さん。ほんと天野さんと区別がつかない声質。
一語一句かみしめるように、おうたいになれてる。叙情的なノスタルジック、素朴さをシンプルな旋律。
もう、何回聞いただろうか、聴かないなんて、もったいないよ。
1982年16作目のLP 彼らは70年代のフォークのスタンスを変えず、世の中も好みもかわっているのに
ありのあままを続けた。これはすごいことだとおもう。オフコースもアリスもTULPも変貌しまくっていたが、
実を言うと、ぼくも洋楽や、大瀧詠一佐野元春などの音楽に没頭しはじめていた。
天野さんは2005年7月にあの世に旅立った。
この歌の詩は、彼が自分の運命をしってか、しらずか、書いたものだ。
「短すぎる人生でも
君のために残しておいたから
遠い記憶たどるたび 僕達はいつか」
2025年のいま、この時の為に彼の歌を聴く。


若き日のNSPのメンバー
この歌のすごい歌詞だなとおもう、ところは何か所もあるんですが
「誰かを愛するために
生まれたと母に聞いた
遠い記憶たどるたび
僕たちはいつか
ぼんやりしている幸せ思う」
幸せは、ぼんやりしてるんだ。ぼくもそうおもう。普通で、何事もなく、ありのままがあるのだ。誰かを愛するために生まれたというフレーズも
寂聴さんが言った言葉 「愛するために生まれてきて、愛するために生きている」
そしてまた、順番が逆であるが
「並んで腰掛けていた
静かなる老いた人よ」
老人を歌う人は少なかった。オフコースの歌に一つあるが、天野さんはそこに並んで座ってる老人を見て、感じたのだろう、彼らの人生を、老人はつつましやかに生活をし、落ち葉のおとさえも聴いてるような、静けさがある。その人生を思ったのだろうか
ほんと名曲です。
そして、気になる歌詞がまたひとつ。
「煙が空へと続く
これからの子供たちよ
かけがえのない自由な多くの時間を
大事に使って欲しいと思う」
煙が何か、何の比喩か、ぼくはイメージしたのは、ぼくが19歳の時、友人が事故死し、葬儀もおわり、火葬場にいき、最後、藤井さんと火葬場の裏の土手で
呆然としてるときに、火葬場の煙突から煙があがった。あの光景は忘れることができない。
藤井さんは 「ああ、もう、煙になってしまった」 そうつぶやいた。空を見上げて、ぼくも、悲しく、儚い人生をおもった、
人生の時間は限られていて、かけがえのないものだ。
この項おわり 2025/04/13