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1982年12月22日水曜日

東君の一周忌の集まりをする。前日は大学の友人と、クリスマスパーティーをする、といってもおでんを食べるだけ、清水の下宿の葵荘で山田とやるから、

おまえもこい、といわれ、東(ひがし)といく、矢井もきて、男ばかりで飲んだ日だった、その翌日だ、

東君と東君。ふたり友人がいて、あずまくんは同志社で事故死、ひがしくんは、大学のスペイン語の友人で、後に会社の会長になる。

話もどって、昼過ぎに藤井さんが下宿にくる。ふたりで北山の喫茶6にいく、珈琲をのむ、そして、ふたりで京都市バス54系統に乗り、四条河原町へ向かう。

神戸から、上野君が来るのを迎えに行くためだった、上野君は、福井のあずまくんの友人で、神戸商科大学に通っていた、

しかし、なかなか、こず、30分以上待つ、

やってきたので、タクシーで 居酒屋「ん」に三人で向かった。居酒屋の「ん」は、あずまくんのバイト先であった。

あずまくんは、12月24日、たまたま、そこに給料をもらいに行く途中で 事故にあい死んだ、

福井の高校の友人、同志社の友人など、集まり、みんなでたのしく話す。あずまくんのことはどこにいったのか

しかし、今思うに、彼はその場にいたとおもう、「僕のことをわすれないで」と

二次会は、どこかの飲み屋さんにいくのであった。同志社女子の松尾さんとカラオケ「カナダからの手紙」を歌う。

松尾さんは、もと といわれ、なぜか、ずっと小山コーポに着ていた、彼女は一年上で、あずまくんの友人(じんみさん)の友人であったのだ。

松尾さんの実家は島原の仏壇や。もう、あの時は帰省中で、じんみさんから電話を受けると飛行機で大阪にもどり、現場に花束を置いて涙して

すぐに島原に返ったそうである。

みんな、東君が死んで、相当ショックであり、その悲しさを分け合い、楽しさをかもちだそうとした。一年がたった。

みんな、その一年は生きることの大事さをかみしめたと思う、 

2025/05/08 誰も語らないなら僕が書く。続く。思い出す限り

2025/05/29 写真のせる、もう40年前の若者だから、許して。

 

当時は一年、この歌ばかり聞いていた。