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1983年2月24日 下宿小山コーポの主、鍛治さんの最後の追い出しコンパの日。

東君の事故の一報を下宿の黒電話で受け、衝撃を受けつつも、大屋さんのところにいき、大屋さんはびっくりし、福井の連絡先に電話し、

洛北病院にかけつけた。事故のあとは、まだ生きていて、脳の損傷がひどく、担当医者が何時間か、緊急オペをやっていた。

僕には亡くなって、8時過ぎか、電話をくれた。

そういうことを思い出していた、

その日は、北白川の「ん」居酒屋に集まった。鍛治さんの人徳というか、サークルもなんもやっていないに、たくさん集まった、

東君の友人が多数来た。米沢君、木村君、西野君、矢川君、タイさん、そして、美幸さん。みやこさん、じんみさん、吉本さん

藤井さん、逢坂、逢坂の友人大林くん、そして、下宿の大江、ぼく、総勢15名。

「俺な、東君の写真が一枚もないんや」

そう、鍛治さんは何度も言った。東君が下宿にいて、交友がひろがり、それを鍛治さんが中心となりやっていた、

しんみりと、思い出話をみんなが語るのであった。

二次会もなく、散会した。

翌日、土曜日、タイさんと美幸さんが再び、鍛治さんの下宿を訪ねてきた。彼女たちも相当悲しくて、鍛治さんが卒業し高岡に帰るのを惜しんだ。

ぼくは、その日は泊りのバイトで新大阪にいた。

翌日、あけて、下宿にかえると、鍛治さんの引っ越しは終わり、荷物が綺麗になくなり、壁の映画ポスターも剥がされていた。

鍛治さんの弟と、お母さんが、部屋にいて、僕はあいさつした。

いよいよ、鍛治さんとの別れであった。一緒に暮らした2年とすこし、

その後、何度も会うのだが、逢坂も大江も、さみしく、鍛治さんを見送った。

「また、卒業式の時、くるからな!元気でな」

そういい、鍛治さんの小山コーポは終わった、東君も見送っていただろう・・。

2025/05/15

 


鍛治さんの部屋。鍛治さんの部屋しか、テレビはなかったので、ベストテンとかここで見ていた。

下宿は、グリル大塚というところの店の跡、鍛治さんが一年のときにはグリル大塚は営業していた。写真は大江君、よく飲まされてつぶれていた


みんなで、からおけにいったとき、鍛治さんが歌っていた。